9 人を区別する 新生児でも顔を見る 生まれたばかりの赤ちゃんでも,親の顔を見 て喜んでいるようにみえる。 そんな直感的な印象が,実験によって証明さ れています。この事実は,乳児を対象とした 実験手法を探す中で副次的に見つかりました。 1960年代に心理学者ファンツ(Fantz, 1958; 1963)が,乳児が顔を好むことを発見していま す。言葉を喋ることのできない乳児を対象に認 知能力を調べるため,行動を用いた実験手法で ある「選好注視法」を開発している中で,生後 46時間から生後6 ヵ月までの乳児が顔を好むこ とが偶然見出されたのです。 そもそも赤ちゃんに顔が見えることじたい, 不思議なことです。その理由の一つに,新生児 の視力があります。生まれたばかりの乳児は視 力が未発達で大人の視力に換算するとおおよそ 0.02程度,生後6 ヵ月までに急激に発達するも のの,それでも0.2程度です。たとえば生後3 ヵ 月頃の乳児からすると,顔は図1のように見え ます。乳児の視覚の特性として,成人の近眼と は違い,悪い視力の原因は大脳皮質の発達にあ るため,距離が近くても見え方は変わりませ ん。基本的な見る能力の限界から考えると,赤 ちゃんが生まれてすぐに顔を見抜いて注目する こと,それは奇跡のようにも思えます。 図2左(Face)のように,単純化された顔図 形を新生児は好みます。生まれて一度も顔を見 た経験がない新生児でも,顔を選好します。こ の発見以降,言葉で「顔が好きなの?」と聞く ことができない赤ちゃんが,ほんとうに顔を好 んでいるかを調べるため,様々な実験が行われ ました。たとえば白黒のコントラストがはっき りした目は,視力の悪い赤ちゃんにとっては目 立ちます。顔ではなくて目が,選好を引きだす 要因となっているかもしれません。しかしそれ では新生児は目を好んでいるのであって,顔を 好んでいることにはなりません。 そもそも顔の定義は,目や鼻や口のそれぞれ の特徴にあるのではなく,目鼻口の配置にあり ます。それは枯れ木に幽霊を見る,大人の顔の 見方ともつながっています。パレイドリアとか シュミクラ現象などと一般に呼ばれており,こ れらの用語をネット検索するとたくさんの画像 を見ることができ,様々な国で数々の本も出版 されています。ドアやコンセントや家や木やカ バンなど,顔とはまったく関係のない日常のあ りふれた風景の中に「顔」を見つけ出し,その 意外性を楽しむのです。 パレイドリアやシュミクラ現象は単なる錯視 図 1 赤ちゃんの視力で見た顔のシミュレーション
乳幼児は顔を区別する
中央大学文学部 教授山口真美
(やまぐち まさみ) Profile─ 1995年,お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻単位取得退学。 博士(人文科学)。ATR人間情報通信研究所研究員,福島大学生涯学習教育研究センター助教授などを経て現 職。専門は知覚発達,顔認知。著書は『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書),『発達 障害の素顔:脳の発達と視覚形成からのアプローチ』(講談社ブルーバックス),『赤ちゃんは顔をよむ』(角川ソ フィア文庫),『赤ちゃんの視覚と心の発達』(共著,東京大学出版会)など。10 近赤外分光法(NIRS)では,近赤外線光を頭 に照射し,血液中のヘモグロビンの変化を測定 します。ヘモグロビンの濃度の変化から,脳活 動を推定するのです。使われる近赤外線光は日 常生活で浴びる程度のもので,身体を拘束する ことなく脳活動を計測できる装置です。この装 置を用いて,顔を見る時に活動する側頭の活動 を計測したのです。私たちはこれまで,横断研 究と縦断研究の二つの研究を行い(Nakato et al., 2009;Ichikawa, Nakato et al., 2019),その 発達を追い続けました。 まず最初に行った横断実験では,生後8 ヵ月 では正面顔も横顔も同じように脳活動がみられ たものの,生後5 ヵ月では正面顔を見た時だけ 活動がみられ,横顔では活動がみられないこと がわかりました。次に行ったのは,生後3 ヵ月 から8 ヵ月までの縦断実験です。実験の結果, 改めて横顔の処理が発達的に遅れることを確認 し,しかも横顔の処理の発達には個人差が大き いことも確認しました。これらの実験から,月 でも遊びでもなく,顔を見つけ出すポイントを 示す重要な現象です。顔を見つけ出すポイント は,二つの目と口の位置にそれらしきものがあ るという点です。こうしたパターンを見出す と,たとえそれが顔でなくても顔と誤認識して しまうのです(Ichikawa et al., 2011)。 赤ちゃんでもこうした法則に基づいて顔を見 ているのかを調べるため,顔の特徴をバラバラ にして配置を崩した図や,配置を倒立した図を 提示し(図2),正しい配置の顔だけを選好す るかが検討されました。様々な実験から,顔を 見た経験のない新生児でも,こうした図形の中 から正しい顔配置の顔図形だけに定位反 応を示すことが示されています(Goren et al., 1975)。さらに2000年代に行われ たイタリアのグループの新生児実験で は,目や口の特徴を持たなくても部分が 上部に集まるtop-heavyな構造をした形 態特徴に新生児が選好すること(Simion et al., 2002)が示されました。顔として の配置が,新生児にとっても重要である ことが示されたのです。 ここでもう少し顔の配置について考え てみましょう。これまで説明した新生児 や赤ちゃんの実験で使われた顔,そのほ ぼすべてが正面から見た顔を使っていま す。top-heavyにあるように,目が2つ 口が1つが顔の基本であるとしたら,目 が1つに見える横顔は,顔として見るの は難しいことになります。 私たちの研究室では,正面顔と横顔を 生後5 ヵ月と8 ヵ月の赤ちゃんに見せ, 顔を処理する脳の活動を近赤外線分光法 (NIRS)で計測する研究を行いました。 図 2 新生児実験で使われた顔模式図形 (Morton & Johnson, 1991 より)
図 3 横顔と正面顔を見た時の左右両側頭の活動の発達過程 (Ichikawa, Nakato et al., 2019 より)
20 10 0 -10 -20
viewing face from frontal view
viewing face from profilel view Left temporal area
age [month-old]
Right temporal area
Left temporal area
hemodynamic response
[Z-score]
hemodynamic response
[Z-score]
Right temporal area age [month-old]
age [month-old] age [month-old]
8 7 6 5 4 3 20 10 0 -10 -203 4 5 6 7 8 20 10 0 -10 -203 4 5 6 7 8 20 10 0 -10 -203 4 5 6 7 8 y = 0.08x + 0.44 y = 0.19x + 0.89 y = 0.85x + 2.36 y = 1.04x + 2.38
11 人を区別する 齢の低い乳児にとっての顔は正面顔であり,横 顔は顔とみなされない可能性が示されました。 幼い乳児と触れ合う際には,目と目が合うよう に正面で対峙することが重要で,横顔は顔とし てわかってもらえない可能性があることを示唆 しているともいえるでしょう。 顔と言葉に壁ができるまで ─ 知覚的狭小化 生まれた時から持つ顔を見る能力は,発達の 中で限定化していきます。 顔認知の興味深い現象に,生後半年頃まで にだけ限定的に見られるスーパー能力があり ます。大人の目からすると,同じように見え るサルの個体の弁別や羊の個体の弁別を,人 の個体の弁別と同じように顔でできるのです (Pascalis et al., 2002)。それが生後1年近くな ると,サルや羊の顔(Shimpson et al., 2011) の区別はできなくなり,人の顔だけの区別に限 定化します。さらには身近な顔に区別が特化す る,自人種効果が生まれます。見る経験の少な い,外国人の顔の区別が難しくなる現象です。 この顔と同じような現象が,言語獲得にもみ られます。 生まれたばかりの赤ちゃんは,世界中のあら ゆる言語を聞き取る能力を持つといわれていま す。たとえば英語圏の赤ちゃんは生後半年頃ま で,英語もヒンズー語も分け隔てなく,それぞ れの言語に特徴的な母音や子音を聞き分けるこ とができます。ところが生後1年近くなると, 英語圏の大人と同じように,聞き慣れないヒン ズー語の聞き取り能力が失われることが明らか になっています(Werker & Tees, 1984)。同 様な結果は,様々な国の言語で再現されていま す。日本人でいえば,日本人が不得意とするR とLを区別する能力が失われるのです。 これらの現象は知覚的狭小化(perceptual narrowing)と呼ばれ,顔と言葉の認識能力は 同時並行で発達すると言われています。小さい 頃の文化を越えたオールマイティな能力は,言 葉と顔に共通するのです。生まれてわずかの 間,あらゆる国のあらゆる言葉や顔を見分け, 聞き分けることができる。それが生後1年とい う期間で,言葉も顔も,身の回りの環境に限定 されてしまうのです。 オールマイティな能力を失うことは,特に英 語のヒアリングに苦労している日本人からする と,逆説的で損にすら感じるかもしれません。 しかし自分の周囲の環境に適応することは,極 めて重要です。生まれた時の聞き取り能力は, 広くて浅いのです。言葉の獲得には,自身の使 う言葉を間違いなくしっかりと聞き分ける必要 があります。そのため母国語の聞き取りの感受 性をあげ,結果として,使う必要の無い言語の 聞き取りを捨てることになるのです。 顔と言葉の認知はそれぞれ脳の異なる場所, 側頭の右と左で処理されているので,連動して 発達するとは驚くべきことです。顔と言葉に共 通点があるとしたら,コミュニケーションで使 うことにあります。顔と言語環境という自分が 属するコミュニティの一員としてコミュニケー ションを取るために,顔と言葉はともに学習さ れるのでしょう。 目で表情をよむ日本人,口で表情をよむ欧米人 文化による顔の見方の違いは,顔への注目の 仕方にあらわれます。目の前の相手の顔のどこ に注目するかは,文化による違いがあります。 直感的にわかりやすいのが,相手の目を見て話 す欧米人と,日本人は見知らぬ相手の目を見続 けることは失礼にあたると感じる対比にあるで しょう。 こうした文化の違いを調べるために,欧米文 化圏と東アジア文化圏の人々を対象に,アイト ラッカーを用いて視線の動向を比較した研究が あります(Miellet et al., 2013)。実験の結果, 一般にいわれるように欧米文化圏では見知らぬ 人の顔を記憶するときに目を見るのに対し,東 アジア文化圏では目を避ける傾向がみられるこ とが示されました。それぞれの眼球の動きを測 定することにより,顔を見る文化差が明確に なったのです。 相手の顔から表情を読み取る時の文化差もあ ります。こちらは顔を記憶する時のパターンと 乳幼児は顔を区別する
12 は異なり,東アジア文化圏の人々が目に注目す るのに対し,欧米文化圏の人々は目よりも顔全 体を見ようとする結果が出ています(Jack et al., 2009)。こうした違いは,表情の作り方の違いに よるとも考えられるでしょう。それは日本発祥 の「絵文字(emoji)」にも象徴的に示されます。 日本の絵文字が目で表情を伝えていたのに対 し,欧米の絵文字では口で表情を伝えるように 変わっています(図4)。実際に欧米人は大げさ に表情を作り,特に口を大きく動かすのに対し, 一方の東アジア人は目で表情を作ります。それ ぞれの表情の作り方に合わせて,どこに注目す るかも変わっていったとも考えられるのです。 私たちの実験室では,表情を見た時の赤ちゃ んの視線の動向をイギリス人の赤ちゃんと比べ る実験を行いました(Geangu, Ichikawa et al., 2016)。その結果,生後7 ヵ月児も大人と同じ 文化差を示すことがわかったのです。イギリ ス人の赤ちゃんと比べると日本人の赤ちゃん は,表情を見る時,日本人の大人と同じように 相手の目元に注目する傾向がありました。一方 のイギリス人の赤ちゃんは,口元を見る傾向が ありました。顔の見方のそれぞれの文化への学 習は,1歳を待たずして始まっている証拠です。 新生児から持つ顔を見る能力は,発達初期から 各々の文化適応を開始し,それぞれの文化にあ わせたコミュニケーション様式の獲得へと導い ていくのでしょう。 文 献
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